2018-12-01から1ヶ月間の記事一覧

憧れ美人は芸妓とハイカラ女学生

明治時代中期から後期、日本政府は欧米諸国に追いつこうと日清戦争、日露戦争を引き起こし、一方文化面では欧米のトレンドがほぼ同時期に日本に入ってきていました。このころ女性の教育も盛んになり、女性が少しずつ社会に出始めた時代でもありました。 『女…

美意識の大改革 ~お歯黒と眉剃りの禁止~

1868年、新しい国づくりを目指す人々のもと、明治時代が幕を開けました。新しい政府では、欧米に習って国の近代化が推し進められました。街には髷を切った男性や洋装の人々が登場するなど、文明開化の掛け声とともに西洋文化が次々と推奨されていきました。…

女性たちの憧れ、遊女のよそおい

江戸を中心に栄えた町人文化 江戸時代の中頃になると、街道や港といったインフラが整い、交通網が発達します。人や物、お金が行き来することにより、城下町や宿場町が栄え、都市へと発展していきました。特に江戸は、中期には人口が100万人を超える大都市へ…

女性たちのよそおい

江戸時代には商工業が飛躍的に発達し、大阪や京都、江戸といった都市部の人々の生活が向上しました。豪商とよばれる大商人が富を築いていき、同時に文化を担う主役もそれまで権力を握っていた武士階級から町人へと移り変わっていきました。 花見や相撲、歌舞…

江戸女性にとってのお歯黒

長く続いた戦乱が終わり、平和が訪れた江戸時代。武士がお歯黒をすることはなくなり、男性では一部、貴族階級にだけにその習慣が残りました。そしてお歯黒は女性だけがする化粧となったのです。 江戸時代の風習に、結婚すると「半元服」と称してお歯黒をし、…

お歯黒ってどんなお化粧?

わたしたち現代人にとって、「真っ白に輝く歯」は美の象徴ですが、実は明治時代はじめの頃までの日本では、 歯を真っ黒に染める化粧、「お歯黒」が美しいとされていました。 お歯黒は、鉄漿(かね)とも表されましたが、その理由は鉄漿水と五倍子粉(ふしの…

化粧は年齢や身分をあらわす“約束事”

平安時代、9世紀末に遣唐使が廃止されたことから、それまで唐の影響を強く受けていた日本文化に、変化のきざしが現れます。紀貫之が『古今和歌集』を編纂し、また、『土佐日記』を記したりするなど、特権階級である貴族の宮廷生活において、日本独自の文化が…

化粧の起源

化粧の起源 ~悪いものから身を守る、呪術としての化粧~ 日本人の化粧のはじまりはいつだったのでしょう。現在確認されているのは、3世紀後半頃の古墳時代。身分の高い豪族のお墓の副葬品である「埴輪(はにわ)」に、赤い顔料で顔や身体に化粧を施したもの…