お歯黒ってどんなお化粧?

わたしたち現代人にとって、「真っ白に輝く歯」は美の象徴ですが、実は明治時代はじめの頃までの日本では、 歯を真っ黒に染める化粧、「お歯黒」が美しいとされていました。

お歯黒は、鉄漿(かね)とも表されましたが、その理由は鉄漿水と五倍子粉(ふしのこ)を歯に交互につけることで歯を黒く染めたからです。鉄漿水とは、酢の中に酒、米のとぎ汁、折れた釘などの鉄を溶かして作った茶褐色の液体で、たいへん悪臭がしたといいます。一方、五倍子粉は、ヌルデ(ウルシ科の落葉小高木)にできる虫瘤(むしこぶ)を採取し、乾燥させて粉にしたものでタンニンを多く含んでいます。
鉄漿水の酢酸第一鉄と、五倍子粉のタンニン酸が結合することで黒く染まる仕組みでした。
ちなみにお歯黒には、歯を強くし、虫歯や歯周病の予防にもなるといった実用的な効果もありました。

お歯黒のはじまり

 

では、お歯黒はいつ頃から、何のために行われるようになったのでしょうか。
はっきりとしたことはわかっていませんが、縄文時代の古墳から発掘された人骨や埴輪にお歯黒の形跡を見ることができます。
また、3世紀末に記された中国の『魏書』(通称:魏志倭人伝)に「黒歯国東海中に有り」と記載されており、当時すでにお歯黒が行われていたことが伺えます。
このように古代から行われていたお歯黒ですが、日本で人々の習慣になったのは、平安時代に入ってからと考えられています。

平安女性にとってのお歯黒

平安時代の『源氏物語絵巻』などをみると、黒髪と白い肌のコントラストの美しさと、ふっくらとした顔に細い目、小さな口元が美しいとされていたことがわかります。
歯を黒く染めることで歯の存在を消すお歯黒は、小さな口元を強調するために行われていた化粧なのです。
また、この時代のお歯黒は、成人への通過儀礼でもありました。

さらに室町時代になるとお歯黒は一般にも広がり、戦国時代には政略結婚を背景として、10歳前後の武将の息女に成人の印としてお歯黒が行われました。こうしたことから、お歯黒は時代とともに既婚女性の象徴になっていったと考えられます。

お歯黒は権威の証

 

その一方で、女性だけでなく男性もお歯黒を行っていました。平安時代末期の貴族男性や、武士でありながら貴族文化に傾倒した平氏の武将たちも、白粉や紅とともにお歯黒を施すことで権威を示していたのです。

室町時代、戦国時代の一部の武士は、戦場で破れ首を打たれた場合を想定し、敵に対して自分の身分を示し、見苦しくないようにと白粉や紅、お歯黒といった化粧を行っていたといいます。

次回は戦乱が終わり、独特の美意識が花開いた江戸女性たちのお歯黒化粧をご紹介します。

参考文献『日本の化粧』/ポーラ文化研究所編『歯の風俗史』/長谷川正康著 時空出版『お歯黒の研究』/原三正著 人間の科学社